|
|
|
|
生産過剰が原因で始まった業界の混乱を収拾するために、泉州毛布工業組合は無登録織機を認定し、登録織機を同じ労働条件、工賃が確保できるよう、仲間としての権利を与えました。そして、一方では強力な生産調整を行い、業界全体が協同して安定への道を求めたのです。これまで、業者間の行き来も少なく、協調に欠けるといわれた泉州の毛布業界は、この無登録織機の認定という事件によって、初めて業者協調、協力の意味を知ります。 |
|
|
しかし、操業短縮や生産調整だけでは、この時代を乗り越えることはできません。必要は発明の母、といいます。この時代に、商品の多様化が図られ、新製品が続々と生まれました。「電気毛布」「夏毛布」「子供毛布」「コタツ毛布」が市場に現れたのも三十年代の後半です。毛布は寝具という概念を越えた「毛布丹前」「夜着」「茶羽織」「敷物」なども開発され、アイデアラッシュの様相を見せました。こうした積極的な姿勢の中から、初めてテレビコマーシャルも打たれました。昭和三十八年十一月の出来事です。 |
|