試行錯誤の中から生まれたアイデア毛布時代

 生産過剰が原因で始まった業界の混乱を収拾するために、泉州毛布工業組合は無登録織機を認定し、登録織機を同じ労働条件、工賃が確保できるよう、仲間としての権利を与えました。そして、一方では強力な生産調整を行い、業界全体が協同して安定への道を求めたのです。これまで、業者間の行き来も少なく、協調に欠けるといわれた泉州の毛布業界は、この無登録織機の認定という事件によって、初めて業者協調、協力の意味を知ります。
 また、長時間労働にのみ頼っていた零細工場も、品質向上による適正工賃の重要性を認識したのです。

 しかし、操業短縮や生産調整だけでは、この時代を乗り越えることはできません。必要は発明の母、といいます。この時代に、商品の多様化が図られ、新製品が続々と生まれました。「電気毛布」「夏毛布」「子供毛布」「コタツ毛布」が市場に現れたのも三十年代の後半です。毛布は寝具という概念を越えた「毛布丹前」「夜着」「茶羽織」「敷物」なども開発され、アイデアラッシュの様相を見せました。こうした積極的な姿勢の中から、初めてテレビコマーシャルも打たれました。昭和三十八年十一月の出来事です。
 あまり変化のなかった毛布の生産工程に、大きな変革が見られたのが三十六年のタフティング・マシンの導入です。また、つづいて、キルティングやラッセルなどの新鋭設備が導入されたのもこの頃です。起毛技術も改良されています。毛布地を自動的に逆転させる方式や連結式の機械が生まれ、省力化に役立ちましたし、起毛加工技術では、毛布の風合いを向上させて、需要の拡大につながっていきました。

  

毛布の種類と特長毛布の取扱い方法毛布ができるまで毛布オモテ・ウラばなし