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泉大津

全国の毛布の90%以上を
生産する毛布の産地
泉大津とはどんなところ?

panhu 大阪府の南部に位置する泉大津市とその周辺では国産毛布の90%以上が生産されており、泉大津市は全国No1の  生産量を誇る”日本一の毛布のまち”です。

栄光の座から、一挙に冬の時代の耐乏生活へ。


●毛布のはじまり ●種類と特長 ●取扱い方法 ●毛布ができるまで ●オモテ・ウラばなし

-昭和-

  栄光の座から、一挙に冬の時代の耐乏生活へ。

全国でゆるぎないシェアを占め、分業体制も着々と進めた泉州毛布は、昭和に入っても悠然と冬の時代を乗り越えていきました。
昭和二年の世界大恐慌、六年の満州事変、そして、九年には、瞬間風速六十mの室戸台風が関西を襲い未曾有の被害をもたらしましたが、泉州の毛布産業は、輸出市場と国内需要に支えられて、業績を伸ばしつづけます。

そのピークが昭和十一年。ちなみに、当時の産業規模は「織布工場二百五十余、紡毛工場十余、整理工場五、年額二千万円に及ぶ」と記されています。これは、同年、十九年の歳月と二千六百万円を掛けて現在の国会議事堂が完成したことと合わせて考えると、二千万円の年額の大きさが想像できるでしょう。

しかし、昭和十二年、盧溝橋事件で始まった日中戦争は、さしもの、好景気を誇った泉州毛布をも大きな混乱の渦に巻き込んでいきました。
戦禍は、英領インドやアメリカに頼っていた綿花の輸入の制限となって現れました。
綿毛布の代替品としてスフの混用が強制され、戦乱の長期化に伴って徐々に統制経済が強化されはじめます。昭和十三年には、綿花と羊毛の輸入量は、平年の半分以下となり、綿製品の製造・販売が規制されていきます。
国民生活も光のない時代に入り、十五年には、砂糖・マッチの切符制、家庭用燃料の登録制、乳製品の割り当て配給、十六年に入ると米穀・酒・塩・みその通帳制が行われます。十七年には、衣料が全面的切符制度となります。
衣料切符とは、一年に百点が与えられ、切符がなければ、いくらお金を持っていても物が買えない統制経済で、ちなみに、組毛布(二枚つづき)は四十点、毛布を買ってしまうと、もうその年は下着も靴下もガマンしなければならない時代でした。
そして、その衣料の主原料はスフ。泉州もスフ毛布一色に塗りかえられていったのです。
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日本毛布工業組合
〒595-0025 大阪府泉大津市旭町22番65号