今すぐ商品を見るなら
click
ご予算/サイズ/素材から探せます
泉大津

全国の毛布の90%以上を
生産する毛布の産地
泉大津とはどんなところ?

panhu 大阪府の南部に位置する泉大津市とその周辺では国産毛布の90%以上が生産されており、泉大津市は全国No1の  生産量を誇る”日本一の毛布のまち”です。

暗い時代にも、パイオニア精神は健在。


●毛布のはじまり ●種類と特長 ●取扱い方法 ●毛布ができるまで ●オモテ・ウラばなし

暗い時代にも、パイオニア精神は健在。

 綿がスフに替わり、意気消沈する泉州毛布産業でしたが、開発や研究意欲まで息をひそめていたのではありません。むしろ、暗い時代に対して、反抗するように、旺盛なパイオニア・スピリットをたぎらせていたのです。
そのひとつは、プリント技術。ジャカードでは表現できない模様も、捺染なら自由自在に表現でき、毛布の需要を拡げられる、と考えたこと。また、無地の生地をシーズンオフに織りだめしておき、シーズンに入るや、売れ行きを見た上で柄をつけようという、まさに画期的な技術開発でした。
厚手の毛布にプリントするため、思うように進まず、浸透剤や防染剤に苦心を重ねて、昭和十三年にやっと完成します。しかし、いざ、製品化という段になって、現実的に不可能という結果がでてしまいます。
それは、産業構造が完全な分業体制であるため、シーズン期には、加工工場に集中する毛布と持ち込む無柄の毛布がいっしょになって、収拾のつかない混乱が起こると予測されたからです。せっかくのプリント技術も、こういう訳で幻のプリントとなりますが、どっこい、このまま埋もれさせる泉州ではありません。戦後いちはやく、泉州毛布が活気づくのは、この技術が底流になっていたからなのです。
また、現在では、当たり前になっている防虫加工が開発され、本格化するのも、昭和十年頃です。
しかし、防虫加工は、日中戦争の拡大とともに、毛布の民間需要がなくなり、中断されてしまいます。泉州毛布産業が戦争の嵐に風前の灯火にさらされていた、ちょうどこの頃、逆に軍用毛布によって一息ついたのも事実です。軍用毛布の利益をそのままキープすることもできず、飛行機二機を献納したといいます。この飛行機は、「日本毛布号」「西日本毛織号」と命名され、活躍したとつたえられています。
-前のページに戻る-

日本毛布工業組合
〒595-0025 大阪府泉大津市旭町22番65号